三日月①
「行ってきます。」
今日も私はいつも通り学校へと向かい、登校する途中に出会う友達と挨拶を交わす。
このような何気もない日常が私にとっては大きな幸せだ。
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十六年前 春
私はこの町の病院で生まれた。
ある程度大きく、施設の調った病院。
私が生まれた瞬間、病院にはわたしの泣き声と共に、歓喜の声が上がったらしい。
両親は私に恋歌(れんか)という名前を授け、大切に育ててくれた。
ところが生まれて半年したある日、病院での定期検診で私はある病を持っていることが発覚した。
現代の医療技術では決して治すことができない不治の病。
私は生まれてすぐに二十歳まで生きられないと宣告された。
ただでさえ、私を溺愛していた両親。
しかし、その瞬間から両親の私に対する愛情は一層と増すことになる。
私が欲しいと言えば、何でも買ってくれ、何かあるごとに盛大なお祝いもしてくれる。
小さい頃は素直にそれを喜んでいた私。
しかし、寿命のことを知らない私は、身体が大きくなるに連れて、その大袈裟な愛情に僅かな違和感を感じはじめた。
小学5年生となったある日、定期的に通ってた病院の帰り道に思い切って聞いてみた。
「私は何か病気にかかってるの?」と。
でも、それを聞いたママは笑顔で
「大丈夫だよ」
と答えるだけだった。
笑顔に潜む微かな影、その表情に曇りがあったのは小学生の私でも分かった。
そこで初めて私は自分に何かあるのだと知ったのだ。
今まで毎月のように病院に通っていたが、ママがただの検査だよと言ってたのであまり気に止めていなかった。
でも自分に何かあると知った今、それを気にせずにはいられない。
私はそれからというもの毎日、毎日両親に尋ねるようになった。
しかし、両親は渋い顔をするだけで何も答えてくれない。
だが、そんな日も終わりを告げる事となる。粘り続ける事10日目、パパがやっと話してくれる気になったのだ。
ママは精一杯それに反論していたが、パパの「いつかは話さないといけないんだ」という言葉で言葉を詰まらせ、ついには納得した。
やっと話が聞ける。私の心は緊張に包まれていた。
しかし、話を聞き終えた途端、その緊張感は一瞬にして、悲しみへと変わることとなった。
私は自分が二十歳までしか生きられないことを知ったのだ。
せいぜいの救いは、死ぬ一週間ほど前まで、少し無理をすれば周りに悟られもなく生活できるということだけだった。
その日を境に私の日常は大きく変わることとなった。
小さなことにも幸せを感じ、また皆が元気にしてるとこを見て、自らの身体を呪う。
好きな男の子も、そして大事な友達も……
将来、その側にいる自分はいない。
辛くて辛くて、毎晩のように私は枕を濡らした。
それでもまだ幼かった私は決してぐれることはなかった。
小学6年生になってすぐ学校で将来の夢の作文を卒業アルバムに載せることが決まった。
自分の寿命を知る前までは学校の先生と言った、具体的な夢があったが、もうそれは叶わない願い。
私は悩んだ末に近くに住んでいるお姉さんが大学生活が楽しいと言ってたことを思いだし、将来の夢に『大学生』と書いた。
しかし、やはりと言うべきか友達にバカにされた。
「夢がない」と…
まぁ、それは当然なことかもしれない。
友達は先生やキャビンアテンダントと言った可愛いらしい夢を書いている。
それに対して私は大学生……
男子でさえも大学生なんて書いている人はいないにも関わらずだ。